10年前・新婚当初の極貧生活仰天エピソード【経済的DV】
こんにちは、ななこです。
今回はブログのタイトルにもなっている”貧乏”について書いてみたいと思います。
モラ夫の生活で最も大変だったことの一つです。
貧乏は貧乏でも、無意味な貧乏なんです。
モラ夫は仕事をしていませんでした。
でも不動産収入はありました。(3年くらい知りませんでした)
そして、私に働くことを禁止しました。
つまり無意味なうえに出口のない、それでいてモラ夫によってつくられた、モラ夫による人工的な(!? 貧乏は全部そうかな。)貧乏なのです。自由がなく、その最悪な生活を強いられる貧乏です。それもいつまで続くかわかりませんでした。
ストレスMAXぶりが伺えると思います。
それでも義実家の赤ちゃんのう〇この処理はさせられ、その義母と日本人義姉からは食べられもしない大量の白米を食べることを強要される日々でした。
まぁ、自分も20キロ太ったから私のことも太らせたかったのかも😱😱😱
・・・と強烈な余談を挟んでしまいましたが、本当に大変な生活で一生のうちで一番あの頃に戻りたくないと思うのがその時期です。
義兄は”後であの時が一番楽しかったと振り返るだろう”と言ってましたが今振り返っても一瞬たりともあの時期には帰りたくありません!(きっぱり)
本当だったら新婚なんて最も幸せな時期ではないでしょうか(哀)
それでは本題ですが、月の生活費は電気代・交通費を含めて30万ウォン。約3万円です。
生活内容
生活内容ですが
●食材はほとんど野菜(それもモラ夫の出戻り姉にかじられたりする)
●食生活で唯一の楽しみはインスタントコーヒーとパン
●服は地下商店街(約千円以上の服を買うと高いと言われる)
●韓国語を習うときは交通費節約のため歩く(バス停5つくらいの距離)
●(番外編)たまに冷凍餃子を買うが、日本人義姉に強引に甥っ子か義兄のものにされる
日本人義姉からの貧乏マウント
しかも、日本人義姉から貧乏マウントをとられるのです
●もやしなど水が出て小さくなる野菜は買わない
●自分が夫のお金で買ったのは10年間でTシャツ1枚
●カレーは肉なし
●借金あり
こんな義兄家にモラ夫は医療保険を出して貰っていたみたいで何がなにやら。。
それもある日突然、”いい加減自分たちで払って貰えない?”と日本人義姉が振り込み用紙を私に渡すと言う。。
もちろんそのような事実は知りませんでした。
そもそもなぜモラ夫はそれを払って貰っていたのか、というと一言で”癒着”と言われました。
・・・それは私のせい??
で、なぜモラ夫には直接その振込用紙、渡さないんですかね。
そもそも家のやっすい生活費は、モラ夫が日本人義姉にそのときの生活費を尋ねた結果決まりました。
なぜ、やりくりできてもいないのにその金額で大丈夫みたいに言うのでしょう。。
今も謎です。
そして事件。。
後で下の甥っ子が風邪を引いたとき病院に行くお金もなく、義兄からは”そんなに病気ばっかりするんなら56してしまえ!”と言われ、義兄嫁が号泣する事件が起きます。
でも、私は知っています。義兄のその言葉は訳すと”金くれとかしつこく言ってくるな、今ねぇんだよ”ってことです。義兄嫁に放った強烈な言葉は本音ではなく、義兄嫁をてっとり早く遠ざける手段にすぎないのです。
こんな感じなので義実家全体が生きづらい感じなのだと思います。
でも、それを第三者に転嫁するような生き方は違うし、そこから離れたことは大正解!だと今は思います。