鉄人と呼ばれていた日本人のお姉さんが亡くなったときのお話し。
5年程前、韓国の義実家の近所のお姉さんが亡くなりました。
癌でした。
我慢ばかりする人でした。
辛くても働かない夫と3人の子供のために、清掃業を本当にたくさんこなしていた、と後で聞きました。
ショートカットでいかにもスポーツが出来そうな、がっちりした体型とは裏腹にとても声の可愛い方でした。
家はトイレが外にあるような、そんな家だったと聞いています。
最後に会った時は4人目を妊娠していました。
"おめでとうございます"が最後の会話だったかもしれません。
赤ちゃんは駄目でした。
癌が見つかったときはすでに男性の握り拳くらいあったそうです。
どうしても旦那さんと医者に行きたくないと言い、知り合いの人が病院に連れて行ったそうですが、家族と間違われて"どうしてこうなるまで放っておいたのか"と随分怒られたそうです。
入院するときのサインも旦那さんの名前は嫌だと言ったそうです。
入院しても治療を拒否し、点滴を抜き、旦那さんが用意した治療費はすべて慈善団体に寄付してしまいました。
癌は脳に転移し、お姉さんは赤ちゃんみたいになってしまったと聞いて間もなく、、亡くなったことを聞きました。
お通夜には廊下を笑顔で走り回る末の男の子の姿がありました。
わからないのかな、と思いました。
少し安心したような、それでいて胸がきゅっと締め付けられるような、そんな感覚でした。
私は子供が小さかったので、お葬式は行くことができませんでした。
後で、出棺のときに末の子が号泣していたと聞きました。
お姉さん、なんでそこまで我慢しちゃったの。。
そんな矢先、私にも異形細胞が見つかりました。
その事実を知ったとき、一瞬思いました。
"やっとこの生活が終わるんだ"
とてつもない解放感でしたが、一点に気持ちが引っ張られました。
子供です。
お姉さんはその解放感の方に行ってしまったのかな。。
それは本人にしかわからないけど、旦那さんが我慢ばかりのお姉さんに甘えっぱなしだったことが悔しくてたまりません。
どこまでも我慢する人だってどうしてわからないのでしょうか。。
お姉さんの納骨堂が家の近所にあります。
バスに乗る度に車窓から見える高台にあるそこをみる度に、あなたも我慢しすぎないでねって言われているような気がしてなりません。