フェニックス義兄
義兄(韓国人)はめちゃめちゃキャラが立ったお方です。
まず外見ですが、、なかなかのマフィアです。
なのにものすごいまじめで、気の小さい心配性です。
学生時代はずっと勉強ばかりしていたそうです。
7年程前、偶然義兄同級生にあった義姉が ”お兄さん、ご立派になられたんでしょうね。ずっと勉強されてましたもんね” と言われ、笑いをこらえながら適当にうなずいたと家で言っていました。
本当は立派になれた方だと思います。
車の修理も上手です。
カーセンターが最初の就職でした。みるみる昇進し高い給料を貰っていましたが “お前の給料高すぎるから辞めてくれない??” の一言で会社を辞めたそうです。
その後、また知り合いのカーセンターに就職しましたが、ひとりでさっさとそこの支店全員が修理するより多く修理していたそうです。本社から支店が ”お前らさぼってたな” とあらぬ疑惑をかけられ、義兄は再びカーセンターを去りました。
そこまで来たらもう器用なのか不器用なのかわかりません。
外に出てミックスコーヒーでも飲みながら煙草を吸う時間でも適当に作っていたら、避けられた問題のようにも思うのですが。。
家では無口です。
めちゃくちゃ無口です。義母妹の家から義実家まで車で片道5時間、一言も話さなかったという記録の持ち主です。
あまりに話さないので、義父が一度義兄を叩きながら、”おい、なんでもいい、なんか喋ってみろ” と言ったらしいですが、最後まで話さなかった、という伝説もあります。
そんな義父のためか、気配を消し足音を立てずに移動する天才です。
いえ、基本的に物音がしません。
暗い所に一人で居るのを好むので、電気の消えたお手洗いや暗くなってからの屋上によく居ます。
顔は亡くなった義父そっくりです。
義母が昔、夜に屋上に居る義兄を見て ”とうとう、見てしまった。。”
と義父の幽霊と間違えたのも家族間では有名なおはなしです。
さて、題名の義兄のフェニックスぶりをお話ししましょう。
最初に義兄が死にかけたのは赤ちゃんのときです。
何日も下痢が続き、周囲も死ぬんじゃないかと噂するほどでした。
当時貧しい生活をしていた義母は病院に行くという発想自体がなかったそうです。
見かねた近所のおじさんが漢方のような(?)なんだかよくわからない薬をくれて、それを飲んで治ったそうです。
次に死にかけたのは幼少のときです。
その時は義姉も一緒に死にかけました。
この時の年齢はおそらく義母も覚えていません。
それが義母なのです。
率直に言って義母の愛情と無知からでした。
冬に仕事に出る前に、寒いからと家で練炭を焚いて窓の隙間をキッチリとテープで留めて出て行ったそうです。
仕事から帰ると、義兄も義姉も倒れていました。
義母はパニックになりました。”義父に怒られる!” と真っ先に思ったそうです。
どう解釈していいのか。。
何をどうしたのかわかりませんが、最初に義姉が意識を取り戻し、そのあとに義兄の意識が戻りました。
その時義母は思ったそうです。
”女は強い!” と。。。
最後は義兄の臨死体験のお話しです。
今から二十数年前、義父が亡くなって間もなくの時でした。
交通事故で大きな事故を起こし、義兄は重症を負いました。
かなり内臓を損傷したと聞いてます。
生死を彷徨っていましたが、そのとき夢をみたそうです。
何やら白い建物の中で亡くなった義父がものすごい剣幕で怒られていました。
”僕の代わりに怒られている”
そう思い義父の方に行こうとしたら義父が怒られてうつむいたまま、義兄に来るなと合図したそうです。
その時、雷に打たれたような感覚があり、意識を取り戻したそうです。
以降医者も驚く脅威の回復力で元気になりました。
”一体何を食べさせたらこんな風になるんですか” と聞かれ、返答に困った義母は咄嗟に”何も食べさせてません”と言ったそうです。
ご飯とキムチでいいじゃないですか。。本当にそうなんですから。
不器用だし突拍子もない義兄だけど、根は悪くない人だと改めて思いました。
何度も死にかけても結局ちゃんと生きてるんだし、この世に縁のある人なんだと思います。もう、あきらめて人生楽しんでほしいです!
できればお金をお酒等に浪費する以外の方法で!