韓国モラハラ貧乏生活サバイバー

 韓国に移住して10年色々見てきた事を、何となく書き連ねていくブログです。

モラ夫ファンタジー

ある日子供が言いました。

パパって人間じゃないみたい。


モラ夫でモラ父だもんね。

 

あぁ。。やっぱりか

と思いましたが、思い切って聞いてみました。

 

👩”じゃあ何だと思う??”

 

🧒”。。。。。。。”

 

👩”パパは話し通じないもんね。”

 

🧒”うん、本当に通じない。”

 

👩”そうだね。。ママも通じないんだ。 

それでね、何に見えるかってね、ママはパパのこと、、  


             トトロだと思う!!


だっていつもグレーの服👤ばかり着ているし、あんなお腹だし🌝 ずっと寝てるもん💤💤💤!


 それに家の裏の小さな森🌲🌳だって、パパが私

たちが引っ越す前日に一日で作ったんじゃないかなぁ❓


 仕事に行くのだって車で行くふりして本当は独楽に乗って傘🌂をさして、うわぁぁぁっ😁☂️て飛んで行っているのかもよ~~😊”

 

👦"お腹痛い!🤣🤣🤣🤣"

 

 


パパの役割をしてくれる人はいないけど、トトロがたまに遊びに来ると思うのってわくわくしませんか??🧚‍♂️

 

私の頭の中で夫は離婚してから死んだことにしようと思います😌💡

そう、たまに家に来るあのひとは、トトロの化身なのです。

 

人間じゃないので夫にはなれません😌🚫

 

今住んでいるところは小さな山の麓のトトロのすみかを借りていて、トトロから預かった不思議なカードと、月に一度不定期にくれる葉っぱの色や木の実の色の現金で私たちは自立に向けた生活をしているんだ、、きっと。

f:id:nanacko:20200407220224j:plain

 

さよなら、モラ夫

 

 結婚してからずっとモラ夫の攻撃を受けていました。

 鬱で寝たきりの状態が2年続きました。

 

 私にとってこれ以上無駄で無意味な苦痛はありません。

 

 しかしモラ夫にすれば、ただ韓国の生活に順応できない可哀そうな嫁。 

 自分と性格が合わない嫁。

 

 それだけのことなんです。

 

 

 私はモラ夫の強要がつらかったのです。

 モラ夫の要求を普通に拒否しても事が大きくなるだけです。

 家族や友達を巻き込んででも自分の正当性を主張し、相手がそれを受け入れるように教えてあげないといけない、というしょうもない考え方の犠牲に私はなりました。

 

 モラ夫と一緒になって私を嘲笑し、モラ夫を正当化する周辺の人も私とは何の関係もありません。

 

 あるのはただモラ夫が、陣痛で苦しんでいる私に ”子供が生まれるのは何時何分かはっきり言え!“ と怒鳴ったレベルの愚かさだという事実です。

 

 そのようなことですら男性ならあり得るとするモラ夫の周囲、それも出産経験者を含む周囲であるという事実です。

 

 もはや私はモラ夫を夫として、というよりも人間として認識することすらできません。

 2年程前から、離婚することを前提に生活しています。

 

 こちらで雇用センターも行ってみたし、就職活動もしてみました。

 日本に帰ってしばらくブラック企業でつらいバイトもして来ました。

 

 自立する準備はしています。

 継続します。

 

 なので、何事もなかったかのように近づいて来ないでほしいです。

 

 私が鬱で寝たきりにまでなったのは、モラ夫の強要のせいであり、モラ夫がつくった状況であると私が言うのだから、それが事実です。

 

 全てを捨てこちらに来ても、働きもせずしつこくしつこく信じられない嫌がらせをされたあげく”耐えろ”とモラ夫自身からもモラ夫家族からも言われました。

 理不尽なことは全て韓国の文化でそれを理解しないお前が悪い、と随分言われました。

 

 ”義兄夫婦の子供まで押してけてきて、多くの時間を奪いながらも韓国語ができないですって??

 義兄嫁さん、あなた来た当初学校に通っていたそうですね!

 義兄さん、責めるくらいなら自分の子供の世話をするなり稼ぐなりして下さい。”

 

 何度心の中で思ったかわかりません。

 

  それが目に見える外傷だったら認識できるのでしょうか。

  目に見えない心の傷はなかったことになるのでしょうか。

 

 モラ夫にはなかったことになったり、忘れたりする事実でも、私には一生消えない大きな傷と消耗です。

 

 モラ夫がどれだけ態度を変えても、どれだけ良くしてこようとも、もう何も変わりません。

 

 ここまで耐えた理由はモラ夫個人に好意を持っていたからではありません。

 離婚に抵抗があったこと、簡単にあきらめるのが私をここに送り出してくれた人たちに申し訳ないからです。

 子供に申し訳ないからです。

 

 この世にここまで異常な人間が、人間達が存在することを知らなかったからです。

 

 

 さよなら、モラ夫。

 あなたのおかげでこの世には決してわかりあえない人間が居ることがよくわかりました。

 

フェニックス義兄

 義兄(韓国人)はめちゃめちゃキャラが立ったお方です。

 まず外見ですが、、なかなかのマフィアです。

 

 なのにものすごいまじめで、気の小さい心配性です。

 学生時代はずっと勉強ばかりしていたそうです。

 

 7年程前、偶然義兄同級生にあった義姉が ”お兄さん、ご立派になられたんでしょうね。ずっと勉強されてましたもんね” と言われ、笑いをこらえながら適当にうなずいたと家で言っていました。

 

 本当は立派になれた方だと思います。

 車の修理も上手です。

 カーセンターが最初の就職でした。みるみる昇進し高い給料を貰っていましたが “お前の給料高すぎるから辞めてくれない??” の一言で会社を辞めたそうです。

 

 その後、また知り合いのカーセンターに就職しましたが、ひとりでさっさとそこの支店全員が修理するより多く修理していたそうです。本社から支店が ”お前らさぼってたな” とあらぬ疑惑をかけられ、義兄は再びカーセンターを去りました。

 

 そこまで来たらもう器用なのか不器用なのかわかりません。 

 外に出てミックスコーヒーでも飲みながら煙草を吸う時間でも適当に作っていたら、避けられた問題のようにも思うのですが。。

 

 

 家では無口です。

めちゃくちゃ無口です。義母妹の家から義実家まで車で片道5時間、一言も話さなかったという記録の持ち主です。

 あまりに話さないので、義父が一度義兄を叩きながら、”おい、なんでもいい、なんか喋ってみろ” と言ったらしいですが、最後まで話さなかった、という伝説もあります。

 

 そんな義父のためか、気配を消し足音を立てずに移動する天才です。

 いえ、基本的に物音がしません。

 暗い所に一人で居るのを好むので、電気の消えたお手洗いや暗くなってからの屋上によく居ます。

 

 顔は亡くなった義父そっくりです。

 

 義母が昔、夜に屋上に居る義兄を見て ”とうとう、見てしまった。。”

と義父の幽霊と間違えたのも家族間では有名なおはなしです。

 

 

 さて、題名の義兄のフェニックスぶりをお話ししましょう。

 最初に義兄が死にかけたのは赤ちゃんのときです。

 何日も下痢が続き、周囲も死ぬんじゃないかと噂するほどでした。 

 当時貧しい生活をしていた義母は病院に行くという発想自体がなかったそうです。

 

 見かねた近所のおじさんが漢方のような(?)なんだかよくわからない薬をくれて、それを飲んで治ったそうです。

 

 次に死にかけたのは幼少のときです。

 その時は義姉も一緒に死にかけました。

 この時の年齢はおそらく義母も覚えていません。 

 それが義母なのです。

 

 率直に言って義母の愛情と無知からでした。

 

 冬に仕事に出る前に、寒いからと家で練炭を焚いて窓の隙間をキッチリとテープで留めて出て行ったそうです。

 

 仕事から帰ると、義兄も義姉も倒れていました。

 義母はパニックになりました。”義父に怒られる!” と真っ先に思ったそうです。

 

 

 どう解釈していいのか。。

 

 何をどうしたのかわかりませんが、最初に義姉が意識を取り戻し、そのあとに義兄の意識が戻りました。

 

 その時義母は思ったそうです。

 

 

 ”女は強い!” と。。。

 

 

 最後は義兄の臨死体験のお話しです。

今から二十数年前、義父が亡くなって間もなくの時でした。

 

交通事故で大きな事故を起こし、義兄は重症を負いました。

かなり内臓を損傷したと聞いてます。

 

生死を彷徨っていましたが、そのとき夢をみたそうです。

何やら白い建物の中で亡くなった義父がものすごい剣幕で怒られていました。

 

           ”僕の代わりに怒られている”

 

そう思い義父の方に行こうとしたら義父が怒られてうつむいたまま、義兄に来るなと合図したそうです。

その時、雷に打たれたような感覚があり、意識を取り戻したそうです。

以降医者も驚く脅威の回復力で元気になりました。

”一体何を食べさせたらこんな風になるんですか” と聞かれ、返答に困った義母は咄嗟に”何も食べさせてません”と言ったそうです。

 

ご飯とキムチでいいじゃないですか。。本当にそうなんですから。

 

不器用だし突拍子もない義兄だけど、根は悪くない人だと改めて思いました。

 

何度も死にかけても結局ちゃんと生きてるんだし、この世に縁のある人なんだと思います。もう、あきらめて人生楽しんでほしいです!

できればお金をお酒等に浪費する以外の方法で! 

義母が超人かもしれない10の理由

  

 そろそろ韓国人義母のお話もしてみようかと思います。

 いろいろありすぎてまとまりにくいので、今回は箇条書きにしてみました😊 

では、

 

 1.お嬢様育ちなのに土方をしていた

    最初からびっくりですね。

 思い石をたくさん運ぶ仕事をして最終的には家を2軒建てたそうです😱

 それからその2軒を売って、4階建ての建物を買ったのが私も住んでいた義実家です。 今の家に住んでからも、屋上に置いてあった60センチはあると思われる大きな石をどこかに一人で捨てに行ったという伝説もあります😌

 

 2.お嬢様育ちなのに近所の人に誘われてソウルに物乞いに行ってみた

 見るからにお嬢様育ちの義母を誘うなんて...ってそもそも物乞いって誘うもんなんですかね。なんだか明るい物乞いが頭に浮かびます😊

 ”色の白いお嬢さんが。。” とたくさん貰って喜んで帰ってきたら、義父に ”これからは俺が稼ぐからやめなさい”と言われたとか。

 ...そりゃそうだ。😌

 

 3.肌が綺麗なのに洗顔は洗濯石鹸!!

 70過ぎてもシミ一つないツルツルお肌です。😊

ある日、”日焼けしたらシミってできるのか?” と聞かれてびっくり。。😱

 

  因みに近所のおばあさんグループでは美白の秘訣は毎日の緑豆パックだと嘘をついたそうです。

 

 緑豆なんてほとんど義実家で見たことありません。 あったとしたら緑豆チヂミを焼くときです😌

 

 4.美容師さんに100万円の髪と言われた髪を洗うのもやっぱり洗濯石鹸!!

 セットも自由自在の扱いやすい髪です。

ある日、”髪洗うときって人はシャンプーを使うものなのか?” と聞かれてやっぱりびっくり!😱

 

 5.足も腰も曲がってるけど、地下鉄に乗るときはダッシュで席をとりに行く!

 いや、もう。。 走れたことにびっくりですよ。 

 そんなことしなくても席譲られそうだけどなぁ。🤔

 

 6.本が嫌い。字を書くのも嫌い。なのに文化の香りがすると称えられる。

 とりあえず本が嫌いです。旦那の本棚の前で ”弁護士や医者じゃあるまいし”とぶつぶつ言ったり、何か台が必要な時は旦那の本を綺麗に括って台として活用していました。もちろん、旦那が読む読まないは関係ありません。 

 

 義母にとって、本は見るだけで眠くなる悪の化身😈😈😈なのです。

 

 因みに文化の香りがするというのは義兄嫁の友達の言葉です。

 

 

 7.老眼になったのは70代に入ってから

 もうわけがわかりません。。 視力はもともと良いようです。

 おそらく今でもメガネは掛けてないと思わます。

 

 8.綺麗で上品に見えすぎる

 もう、駄目でしょう。

 Tシャツのタグは引きちぎって首の後ろに絶対穴が二つ空いているし、ノーブラだし、乳首隠しにラコステ的なワニの小さいワッペンを手縫いでつけても何も隠れてないし、片側だし。。。

 10年程前なんか、”バイトして疲れたらこうするんだ”って誇らしげに地下鉄の階段枕にして寝ちゃったらしいですし。。

 

 普通ここまでするとかなりボロボロですよ。

 なのになんで品性が残るのか。。

 私も当初騙されましたが、後で聞きました。

 ”あなたが初めて来るときに何十年かぶりにブラジャー付けてたよ。 メークは口紅もチークもアイシャドウもすべて一本の口紅でしてたよ”と。

 

 第一印象、綺麗な人~だったんですけど。。

 

 9.めちゃくちゃな事をしても許される

 驚いた会話が ”親睦会で旅行に行くから帰り迎えに来い” と言うので ”いつ帰られるんですか” と聞いたら ”知らん”と。 いつもそうらしいので、迎えに行く人が親睦会に問い合わせるようになっているそうです。

  ちなみに海外に行くときは紙袋です。

  他に鞄は持ちません😉👍

 

 道を歩いていても、バスの運転手さんに道を聞いたりします。

 怒られるのは隣で止めている私です。😤

 

 10.子供も孫も生まれる前にすべてお告げがある

 もうそれは義母にはもれなくあるそうです。

 

 こちらでは妊娠中に当たり前に ”この子の夢なんだった??”と聞かれます。

 夢を見ない、ということももちろんあります。

 植物だったら女の子、動物だったら男の子等いろいろあります。

 

 因みに良い夢は口外してはいけません。

 

 その昔ある女性が良い夢を見たことを妹に話したら、妹がその夢を売って欲しいと言い、夢を買った妹が将軍と結婚したそうです。 それがキムユシン。ググってびっくり!夫の先祖です。

 

 義母、超人は言い過ぎかもしれませんが、なかなかすごい人だというのは伝わったかとおもいます。

 それでは~!

 

義実家周辺の衝撃的な50年前

義実家は城南市にあります。

小さなお店がたくさんあって、逆に目印がなさすぎて道に迷いそうな感じのごちゃごちゃしたところにあります。

実際目印にしたお店が二つの道路に面していて、、旦那実家と間違えて違う家ピンポンしたことあります。。  誰も出なくてよかった~~!

 

義父も義母も元々は違うところの出身です。

義父はとても裕福な家に生まれました。

義父実家のお墓参りに初めて行ったときは、古墳かと思いました。

二つ並んだ小さな山が義父の父と母のお墓でした。

 

義母もやはり裕福な家に生まれ、たくさんの兄弟と暮らしていました。

勉強が嫌いであまり学校には行かず、家で掃除と裁縫ばかりしていたようです。

 

義母の兄弟で唯一面識のある妹さんは今でもかなり活発な人です。

わりとめちゃくちゃな事をしても上品さがどうしても残ってしまう義母とは違って、もう明るさと活発さと強引な人の良さが全面的に出てる人です。

 

関係ありませんが、みのもんたそっくりです。

 

やはり妹さんも勉強は好きではなかったようですが、義母と違うところは両親に

”学校行ってやるから金よこせ”

と言い、かつあげをしていたというところでしょう。

 

すごい小学生です。

 

 

義父と義母は20歳くらいで結婚し、とあるところでスーパーをしていました。

その辺でたった一軒のスーパーでとても裕福だったそうです。

 

義兄義姉の1歳2歳くらいのセピアの写真を見たことがあります。

そんな古い写真からでも洋服の生地の上等さが伝わってきました。

うろ覚えですが、義兄は革のハンチングとスーツで義姉は薄い色のワンピースだったような。。

 

そんな裕福な生活をしていたある日、義父が知り合いから一緒に事業をしないかと誘われ随分投資をしたそうです。

 

それが詐欺でした。

 

スーパーを売り払い、行った先が城南市でした。

城南市は2014年にユネスコ文化遺産に登録された南漢山城(ナマンサンソン)のあるところです。

以降聞いたままのお話しです。

今か50年ほど前、南漢山城は廃れ虎が鳴いているようなところでした。

当時の大統領がその周辺の土地を細かく分け、お金のない人々に与えた、とのことです。

 

義父母はそこに引っ越しました。

 

当時は義実家も寝転ぶと空が見えるテントのような家だったそうです。

横になり空を見上げながら、こんなところで幼い子供を二人抱えてどうやって生きようか。。と義母は思ったそうです。

周囲で色の白い人は義母のみ。

トイレは近くの駅に一つだけ。

なのでどこででも用を足す人が多く、生理のときも誰がそうかわかるくらい匂ったといいます。

盗難も多く、お金なんか持っていたら周囲の目が怖かったそうです。

 

義兄義姉は毎日山に水を汲みに行ったそうです。

棒の両端に桶のついた時代劇で見るような道具で。

揺らすと水がこぼれるので大変だったそうです。

 

そういう水くみがアフリカでなく隣の国であったなんて。。

 

なのである程度の価値観は違うでしょう。

なので一方だけが合わせるなんてことは到底無理でしょう。

 

当初努力して明らかに悪い方向へ行かないといけないことに、義実家全体からそれを強要されることに、なんともいえないものを感じました。

 

米を食べろと強要され一時体重も20キロ近く増えました。

食べないと大きな声で争いが起きました。

大きな声のなか、私がひとり黙々とご飯を食べると声はやみました。

 

全てにおいて耐えるのが当たり前だと義実家以外の人から、周囲の日本人妻達から言われたら、もう何が何だかわからなくなりました。

 

去ることももちろん考えました。

 

今でもどうするべきだったかはわかりません。

その生活があって最愛の人が生まれたのですから。

 

 

鉄人と呼ばれていた日本人のお姉さんが亡くなったときのお話し。

5年程前、韓国の義実家の近所のお姉さんが亡くなりました。

 

 

癌でした。

我慢ばかりする人でした。

 

辛くても働かない夫と3人の子供のために、清掃業を本当にたくさんこなしていた、と後で聞きました。

 

ショートカットでいかにもスポーツが出来そうな、がっちりした体型とは裏腹にとても声の可愛い方でした。

 

家はトイレが外にあるような、そんな家だったと聞いています。

 

最後に会った時は4人目を妊娠していました。

 

"おめでとうございます"が最後の会話だったかもしれません。

 

赤ちゃんは駄目でした。

 

癌が見つかったときはすでに男性の握り拳くらいあったそうです。

 

どうしても旦那さんと医者に行きたくないと言い、知り合いの人が病院に連れて行ったそうですが、家族と間違われて"どうしてこうなるまで放っておいたのか"と随分怒られたそうです。

 

入院するときのサインも旦那さんの名前は嫌だと言ったそうです。

 

入院しても治療を拒否し、点滴を抜き、旦那さんが用意した治療費はすべて慈善団体に寄付してしまいました。

 

癌は脳に転移し、お姉さんは赤ちゃんみたいになってしまったと聞いて間もなく、、亡くなったことを聞きました。

 

お通夜には廊下を笑顔で走り回る末の男の子の姿がありました。

 

わからないのかな、と思いました。

少し安心したような、それでいて胸がきゅっと締め付けられるような、そんな感覚でした。

 

私は子供が小さかったので、お葬式は行くことができませんでした。

 

後で、出棺のときに末の子が号泣していたと聞きました。

 

お姉さん、なんでそこまで我慢しちゃったの。。




 

そんな矢先、私にも異形細胞が見つかりました。

その事実を知ったとき、一瞬思いました。

 

"やっとこの生活が終わるんだ"

とてつもない解放感でしたが、一点に気持ちが引っ張られました。

子供です。

 

お姉さんはその解放感の方に行ってしまったのかな。。

 

それは本人にしかわからないけど、旦那さんが我慢ばかりのお姉さんに甘えっぱなしだったことが悔しくてたまりません。

 

どこまでも我慢する人だってどうしてわからないのでしょうか。。

 

お姉さんの納骨堂が家の近所にあります。

バスに乗る度に車窓から見える高台にあるそこをみる度に、あなたも我慢しすぎないでねって言われているような気がしてなりません

 


 

 

 

義兄さん。。

ここで義兄さんのお話しもしようと思います。

 

義兄さんは最初に会ったとき、本当によく話してくれました。

夫よりもよく私の写真を見てはお嫁に来ることを喜んでくれました。

理不尽に義母に怒鳴られたら、謝罪の手紙とチョコレートを一箱プレゼントしてくれました。

結婚後は何度も何度も"弟を頼む"と言っていました。

 

こちらでの生活が始まると、毎日家に来て夕飯のチェックに来ました。

メニューにダメ出しをされるので、義実家で食べた物を思い出し、チヂミにしたら消化に悪いと言われました。

 

料理教室で作った物ですら、"韓国人はこんなの食べない"と言われました。

もちろん韓国人の先生の教室です。

 

夫が中華料理店で働き始め帰りが夜中になると、当然家では夕飯を食べなくなりました。

 

それでも義兄は毎日家に来て夕飯チェックをしました。

今は夫が夕飯をお店で食べているみたいだと言うと、それでも用意しろ 、食べないなら私の精誠がわからないのかと泣くように言われました。

 

義兄嫁から食べてきたとしても自分のご飯は別だろうというのがこちらの考え方だと聞かされました。

 

夫は義兄に対する私の対応が悪い、ただ食べたと言うように言われました。

細かくチェックされるのでそれも難しいのですが。。

 

妊娠すれば、本当はおろさないといけないと言われました。

義兄の考えた期限より2ヶ月遅かったそうです。

 

そんなおかしなことを言われているとき、義母も義兄嫁も笑っていました。

 

妊娠中の冬、病院から帰ると酔っ払った義兄が家までの狭い階段の真ん中に座っていました。

ずっと話しかけて来て階段を通れません。

夫に電話しました。来てくれと。

電話していること自体を義兄に注意されながら何度も助けを求めました。

 

もちろん来てはくれません

 

韓国の寒い冬1時間半ほど立たされ、足先は冷たく感覚がなくなりました。

 

子供が生まれると2人兄弟の下の甥っ子がしつこく付いてきて子供を叩いたり蹴ったりしてきます。

 

誰もやめさせようとしません。

振り払うと倒れて横になったまま

"痛いよ~!お父さ~ん! お母さ~ん!"とつまでも泣いていました。

甥っ子から危害ばかり加えられるので注意すると、私のことが怖いんだな、と義兄に言われました。

 

お酒を飲んで、午前2時3時に家に来ることもありました。

 

午前4時に上の甥っ子に助けを求められて義兄家に行くと酔っ払った義兄にしつこく甥っ子が絡まれていました。横で義兄嫁は寝ていましたが、気づいてないはずがありません。

 

義兄を注意しましたが、毎日この時間に絡んでいると言っていました。

もっと悪いです!!!

と言い返しましたが、ここでの義兄嫁の態度も理解できませんでした。

 

 

義兄は働いても給料の大半をお酒を人に奢って使ってしまいます。

義実家は借金をしながら暮らしていました。

 

そして義兄は自殺をよくほのめかしています。

義兄嫁はいちいち怯えていましたが、まだわからないのかと思いました。

 

毎回結局死なないし、そんなことを定期的に言っていることになぜ気づかないのか。。

 

もう縁を切った義兄のお話しでした。